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2005-2006年度会長報告

第3004例会 星屋 洋樹 会長報告 2006年1月18日

2006 年 1 月 25 日

2005-6会長

大寒もすぎ、寒さが最も厳しい冬の季節となりました。皆さんには充分に健康に気を付けてお過ごし下さい!!
さて、1月27日はポール・ハリスが亡くなった日であり、追悼記念週間でもあります。ポール・ハリスは1910年第1回ロータリー大会の会長に就任し、1911年第2回全国ロータリークラブ連合会の会長にも選ばれています。1912年8月6日に連合会会長を辞任し、終身名誉会長に就任していますが、1926年までの14年間は病気がちであることに加えて、表面に出ることを極端に嫌っていたポール・ハリスは、実質的にロータリーの第一線からは引退した生活を送ります。 1926年、ポール・ハリスは健康が回復したこともあって、RI名誉会長としての活動を再開し、バミューダ・クラブを公式訪問しています。これ以降妻ジーンと共に積極的に世界中のクラブを訪問すると共に、国際大会や協議会に出席しています。1928年にはヨーロッパ訪問の旅に出て、ロータリーとその運動が、国際運動として彼が想像した以上に発展していたことを喜びました。
1935年から1937年にかけて超過密スケジュールで極東と南アメリカのロータリークラブを訪問しています。1935年2月1日ハワイ、ホノルルを出発し、2月9日横浜に着き、直ぐに車にて東京帝国ホテルで記念植樹。東京会館で東京、横浜クラブ主催の晩餐会が開かれ、米山梅吉、斉藤実前首相、徳川家達公爵らが出席しています。国内では京都、大阪、神戸を訪問し上海、香港を経由してマニラ、メナド、オーストラリア、ニュージーランドを公式訪問しました。ポール・ハリスは病が癒えたばかりの身体で、全世界に拡大されたロータリークラブの現況を視察するということよりも、高まりつつある国際的緊張をロータリアンによる友情を通じて緩和する目的だったといわれています。
1946年が暮れようとする頃、ポール・ハリスは病気でしたが、士気はいまだに軒昂たるものがあり、最後の最後までペンを取り続けて、最後の著作「わがロータリーへの道」の原稿を完成させました。
1947年1月27日、ロータリーの創始者ポール・ハリスはカムリー・バンクの自宅でこの世を去ります。享年78歳でした。ポール・ハリスは生前「私の葬儀に花はいらない。それよりもロータリー財団に寄付してくれた方がよっぽど嬉しい」と語っていたそうです。全世界のロータリアンから多くの寄付が寄せられ、「ロータリー財団奨学生制度」が発足して、翌年18名に奨学金を授与しています。
以上、会長報告と致します。