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2011-2012年度会長報告

第3283例会 平成24年1月25日 会長報告 加藤維利会長

2012 年 2 月 2 日

加藤維利会長先日の雪で少し気温が緩みましたが、今日あたりからまた、寒さがぶり返してきましたし、空気も乾燥しています。インフルエンザもいよいよ流行してきましたので、体調管理に充分注意してください。うがい、手洗い、マスクは有効です。
 ところで明後日、1月27日はポール・ハリスの命日です。1989年10月~11月の理事会において、毎年この1月27日を含む1週間を物故ロータリアンの冥福を祈り、生前の貢献を記念する週間として「追悼記念週間」として指定されています。
 さて、今月はロータリー理解月間ですが、ロータリーを理解する上でも、その題材はたくさんあります。その中でも、第1例会で歌われる「4つのテスト」のほんとの意味合いを理解しておく事は、悪い事ではないと思います。本日はその頃の時代背景を簡単にお伝えしようと思います。次週には「ロータリーの源流RI2680地区 田中毅PDG」の4つのテストの解釈について話をしたいと思います。
 この解釈に関しては寺子屋で木野村委員長が話をしております。では、2週連続の第1話から始めます。
 1929年10月から始まった世界大恐慌は悪化の一途をたどります。
 1932年に共和党のフーバー大統領に代わり、民主党のルーズベルト大統領が誕生しました。ちなみにフーバー大統領はアーカンサス州ブルッフ・ロータリークラブのロータリアンですし、共和党の歴代大統領は殆どがロータリアンです。
 1933年のシカゴ・クラブのアンケートには共和党支持者が72.59%、民主党支持者が8.64%とロータリアンは圧倒的にフーバー支持でした。しかし、ライオンズ支持の多かった民主党が勝利したわけです。
 この頃から第二次世界大戦にかけてロータリーに逆風が吹きます。
 そして、1930年にはフレデリック・シェルドンが突如ロータリーを去ります。色々な原因を言われていますが、本当はどうだったのかは分っていません。いずれにしてもシェルドンという偉大な精神的基盤を失ったロータリーは急速に勢力を失っていきます。
 1932年12月のシカゴ・クラブの統計によれば、当時670名いた会員のうち半期60%の出席義務を満たさなかった会員は213名に上りクラブ管理の破綻がうかがえます。また、1930年から1935年にかけては退会者が激増しています。
 ところで、シェルドンはエバンストンにある新しいロータリーの本部から北西に32kmほど離れた所に、職業総合大学のキャンパスをつくる計画を考えていました。しかし、彼の体調が悪くなり日の目を見る事はありませんでした。シェルドンは1935年12月21日、テキサス州のミッションで67歳の生涯を閉じました。お墓はニューヨ
ーク州のキングストンにあります。そのお墓には職業奉仕理念であ
る、「He profits most who serves best」が幸福の三角形と、奉仕の三
角形の図と一緒に刻まれています。
さて、民主党に政権が移った直後、1933年にはララミー・クラブの副会長を務め、その後RI事務局に勤務していたポール・ハリスの弟レギナルド・ハリスがロータリーからライオンズに鞍替えをするという事件が起こります。ライオンズ・インターナショナルの公式文書にはこう書かれています。「1927年から1932年までの間、レッグはロータリーの場で働きましたが、勝ち馬に賭けることを欲した彼は、ライオンズに移籍し、それ以来、私達と共にあるのです。」と。
 このようなロータリーの危機的な時期に「四つのテスト」が生まれる事になります。
 次週はこのテストの解釈についてと言う事で、本日の会長報告とさせていただきます。