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2004-2005年度会長報告

第2951回例会 合田 修 会長報告 2004年11月17日

2004 年 11 月 17 日

2005-6会長

11月も中旬を迎えまして、そろそろ冬将軍の到来となりますが、風邪が大変流行している様です。健康管理には充分お気を付け頂きたいと思います。

RIでは11月をロータリー財団月間としておりまして、財団に対する理解・協力を特に推進する様奨励しておりますが、本日も財団の生き字引として第2500地区でも特に詳しい田中PGにご登壇頂いての担当委員会によるプログラムが組まれている処であります。R財団の歴史に関しては色んな文献が出されておりますが、元々はアーチ・クランフという6人目のRI会長が提案した「基金」から始まりまして、最初の寄付がカンザス・シティRCからの僅か26$50セント、現在のレートで換算して約3,000円程度であった事はご承知の通りであります。現在の財団の規模と比較して「僅か」という表現がとられているのだとは思いますが、1917年、今から約90年近くも前の事で、当時は第1次世界大戦のさなか、又、ライオンズクラブが創設された年、日本は大正6年となりますので現会員全員が生まれる前の時代でありますので、単純な比較は出来ませんが、それなりの貨幣価値があったのではないかと思います。然しながら、最初からこの基金に対して多くの資金が寄せられた訳ではありませんで、6年経過した段階で700$程度だった様です。この基金は1928年にロータリー財団として改称されましたが、財団が顕著に発展したのは皮肉にもポール・ハリスが亡くなった事、その事により創始者の死を悼み敬意を表する寄付が相次いで寄せられ、これが財団としての最初のプログラムであります国際親善奨学生の実現となった訳です。思えば、今や日本最大の民間奨学団体まで発展して参りました米山記念奨学会も、日本のロータリーの礎を築いた米山梅吉氏の功績を記念して始められた事業であり、両者は相通ずるものがあると思われます。正に体を亡くして名を残したお二人ではないでしょうか。特にロータリー財団の父と言われるアーチ・クランフの活躍は財団だけではなく、国際ロータリーの新定款を起草する委員長として、地区及び地区ガバナー制度を作り、地区大会を確立した書類の責任者でもあり、又、全ロータリークラブの為に標準ロータリークラブの定款・細則を書き上げた人物でありまして、ロータリーの発展に多大なる貢献をされた人でした。

奉仕活動と資金面の援助は今やロータリーの両輪でありますが、2001年規程審議会は、年次プログラム基金として全てのロータリアンが毎年100$かそれ以上の寄付をするという目標を定めました。創立100周年を迎える今年度のエステス会長も年度方針の中でこの部分を強調されております。長引く経済不況により金銭奉仕というのは非常に難しい局面にはありますが、財団・米山のプログラムに参加するという意欲をもってご協力を頂ければ幸いとお願い申し上げまして、本日の会長報告と致します。