帯広ロータリークラブのトピックス

帯広ロータリークラブのト会員一覧、役員表、年間プログラム等

帯広ロータリークラブについて

国際ロータリー第2500地区
ロータリー文庫
帯広ロータリークラブ携帯サイトQRコード

携帯サイトができました。 ロータリーの情報を旅先でもご覧いただけます。

2005-2006年度会長報告

第3024例会 星屋 洋樹 会長報告 2006年6月21日

2006 年 6 月 21 日

2005-6会長

今日は夏至でありまして、太陽が最も北に位置し、最も高度が高くなり、昼間が長く、夜が短い日となります。夏至を過ぎると暑い夏が訪れますので期待してください!!
先日、私が米山カウンセラーをしていた2001年~2003年度帯広RCの米山奨学生ダフ・シラトさんから連絡がありました。彼は一昨年中国内モンゴルに帰り結婚して、日本に戻り、今年息子のポイトカル君が誕生しています。ダフ・シラトさんは貿易の仕事に就き、茨城県土浦で家族三人で幸福な家庭を築いていると報告がありました。
帯広RCの例会場は、今、ここノースランド帯広で今年度も開催していますが、例会場の過去を振り返りますと、最初1935年(昭和10年)チャーター・メンバー19名の基に藤丸百貨店の3階で行われ、292階の例会が開催されています。
戦後、日本のロータリーは国際復帰を目指す気運が日本中にみなぎり、帯広においても、1950年12月平原荘ホテル(西3条南10丁目20)、現在の井上酒店の南側、向眼科の東側で再開、チャーター・メンバー33名が参加し、宮本来冶会長の基に再出発いたしましたが、例会場は不安定な状況にありました。平原荘ホテルでは6ヶ月しか開催されず、西1条南10丁目にあった宮本食堂を10ヶ月使用し、1952年には労働会館(西4条南9丁目1)に移っています。現在の道新ビルの西側にある帯広市福祉会館の全身であります。
そして1953年、杉田末吉会長の基に例会場は日本勧業銀行帯広支店、現在のみずほ銀行に移りました。当クラブ会員の中で大正生まれであります田中弘PGと高橋忠雄元会長、二人だけが経験者であり、15年間お世話になりました。
その後、1968年の5月には例会場が旧帯広駅ビルの中の帯広ステーションホテルへと清兼政市会長の時に移り、この会場の最初の入会者が大滝信臣元会長だと思います。ステーションホテルでは28年間の1996年6月までお世話になり、帯広駅ビル解体のためにやむを得ず高橋標会長を最後の会長として移動し、林元会長がオーナーであります北海道ホテルで1年間、大須賀良明会長の時にお世話になりました。
そして1997年7月2日に、ホテル・ノースランド帯広のオープンにした年に引っ越し、私も時の幹事としてお手伝いしました。そしてこの二階で柴田敏男会長が初めてロータリーの点鐘を鳴らしたのであります。
この例会場が帯広ロータリークラブの発展とともに続くことを期待いたしまして、本日の会長報告と致します。