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2005-2006年度会長報告

第3016例会 星屋 洋樹 会長報告 2006年4月19日

2006 年 4 月 19 日

2005-6会長

4月に入り暖かい日が続くと思いましたが、日本海からの低気圧で雪と雨となり、日中の気温は平年より低くなっています。
さて、今日4月19日はポール・ハリスの生誕の日であります。
1868年(明治元年)4月19日、シカゴ市の北62マイルにあるウィスコンシン州ラシーン市5番街で、ジョージ・ハリスとコーネリアの次男として生まれています。母コーネリアの父は弁護士で、ラシーンの第二代市長でもありました。父ジョージは社交的な性格で次々と転職を繰り返し、ようやくラシーンで祖父ハワード・ハリスの援助を受け、薬屋の経営に落ち着きましたが、ポール・ハリス3歳の時、店は倒産し、父ジョージは5歳の兄セシルとポールを連れて、バーモンド州ウォーリングフォードに住む資産家で厳格な祖父母の基に移りました。
ポール・ハリスは、幼少時代から高校まで悪ふざけといたずら少年でありましたが、学校での知性と指導力は優秀であったと言われています。
祖父ハワード・ハリスは、孫のポールの規律教育のため、バーモンド陸軍士官学校に入学させました。ここでも指導者としての素質は抜群で、素晴らしい成績を収めています。
1887年、19歳でニュージャージー州の名門プリンストン大学に入学しましたが、祖父が亡くなります。敬愛していた祖父は、ポール・ハリスが弁護士になるよう、希望していたことを知り、1899年アイオワ州立大学、法学部に入学し、法学を学ぶかたわら、法律事務所で事務員として働き、23歳で法学の学位を習得して卒業しました。
卒業式で基調講演をした著名な弁護士が、若い弁護士を前に、卒業してすぐに大きな法律事務所に勤務せず、まずは田舎町に行って5年間はしっかり学んだ方がよいと勧めたのでありました。そしてポール・ハリスはそれから5年間、世界発見の旅に出たのであります。
ポール・ハリスは祖父母から、他人に対する寛容、思いやり、優しさを学んでいたのに加え、この5年間の尊い経験から職業と親睦、そして奉仕の偉大さを知りました。
1896年28歳の時、アメリカ社会は変動期で、あらゆる人種、信条、文化と犯罪、汚職、そして悪徳商法が横行していた新興都市シカゴで弁護士を開業したのであります。
以上、本日の会長報告と致します。