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2022-2023年度会長報告

第3773例会 令和5年3月8日 会長報告 竹川 博之 会長

2023 年 3 月 27 日

会長 本日は帯広RCの創立記念の夜間例会です。我がクラブの創立当時の世相と経緯を少し振り返ってみたいと思います。
 1905年、ロータリーがポールハリスによってシカゴで創立されて15年後の1920年、日本最初の東京RCが設立されました。そののちクラブ拡大路線に従い日本全土でRCが設立され1933年道内で最初の札幌RCが出来ました。この札幌RCをスポンサークラブとして1935年帯広RCは誕生し以来、地域に根を下し、幾多の奉仕活動の下歴史を重ねここに88年の歴史を経ております。創立時の1935年は、帯広市は32,000人余の地方小都市であった。当時の帯広市長、渡部守治氏を初代会長に商工会議所会頭、宮本富治郎氏、藤本長茂氏、佐藤宅次郎氏、杉田末吉氏等発起人の下、チャーターメンバー 19名にて3月15日帯広公会堂にて創立総会を開催し、続いて同年5月31日付けにてRIの認証No3820を得て日本で第16順位のRCとして発足しています。
 1931の満州事変以後、日本の中国大陸への進出は止まらず1937年の盧溝橋事件に端を発した世情は日毎に暗雲を漂わせ、やがて軍閥の勃発と共に年の反RC政策が極端強化され露骨となり、RCは“アメリカのスパイ活動”の如く偏見をもってみられRCへの圧迫は日増しに激化していった。この様な世相の中、日本のRCは遂にRIを脱退し全国のRCは漸次解散することとなった。帯広RCにおいて1940年9月わずか5年で解散の宣言を余儀なくされたのであります。然しながら、ロータリーの精神は変わることなく形を「木曜会」として変えて存続し以後20回の例会を開催している。その後戦時体制を益々厳しくなり1941年1月30日の例会を最後に例会中止となり通算292回で帯広RCは完全に休止している。(1935年3月 〜 1941年1月)その後終戦を迎え、戦後の経済復興、社会の安定と共に日本国内のRCは国際社会への復帰の気運と相まって1949年3月東京RCがRIに復帰し続いて各地のRCの復帰が承認されている。
 帯広においては、未だ戦後復興ままならず混乱の社会情勢下にあったが1950年に入りスポンサーの札幌RCより当時の帯広畜産大学学長の宮脇冨氏に対し、クラブの再開についての勧誘の連絡が入り、その後急速に準備が進み学長宮脇氏の肝いりで1950年12月に平原荘ホテルにて発起人会が開かれ12月19日に札幌RCから伊藤氏を迎えチャーターメンバー 33名で創立総会が開かれた。我が帯広RCが戦後の極めて早い段階で復活再開された事は特筆に値するものと言うべきである。先達会員のロータリー活動への熱意を強く感じます。本日は、帯広RCの黎明期に思いをはせたいと思います。
 以上、会長報告と致します。