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2012-2013年度会長報告

第3343例会 平成24年4月24日 会長報告 和田 賢二 副会長

2013 年 5 月 7 日

本日、陸上自衛隊第5旅団副旅団長兼帯広駐屯地指令の原様をゲストとしてお迎えするにあたりまして、本日のゲストとは直接的な関係はございませんが、昨年読んだ本をふと思い出しまして、その話をさせて頂きます。
 本のタイトルは『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄 自叙伝』であります。
 今年1月に亡くなりました私の父が、昨年戦時中の話をよく私に話してくれました。父は朝鮮に渡り見習い士官の時に朝鮮軍司令部に配属されたのですが、戦争映画に出てくるシーンと同じように古参兵によく殴られたりしたようです。そんな時に本屋さんでこの本のタイトルが目に止まった訳です。
 主人公の淵田大佐は連合航空隊参謀・空母赤城の飛行隊長として海軍機動部隊の精鋭360機を率い1941年日本時間12月8日午前3時19分、現地時間7日午前7時49分ハワイ奇襲作戦を陣頭指揮し、暗号名の「トラトラトラ−我奇襲に成功せり」を打電させた張本人であり太平洋戦争の始まりを作った人だと言えます。
 後に、ミッドウェー海戦で重傷を負い、原爆投下の前日まで広島におりながら軍令部に呼び出され九死に一生を得て、またその投下直後の広島へ行って被害調査に従事し多くの被爆者を目にしました。そして終戦の際、厚木基地にマッカーサー元帥を迎え、1945年9月2日ミーズリー号での降伏調印式に立ち会い、東京裁判に出廷して真珠湾攻撃の内容について証言をするという、まさにこの戦争の始まりから終わりまでを体験しそれを戦時中にありながら具に書き留めた人です。
 彼は後生クリスチャンとなり、嘗て敵国であったアメリカに渡り、宣教師として布教活動を行う訳ですが、生死をかけた半生の中
で日本国民として国を守り、国民を守るという大儀のもとで極めて実直に行動し、戦争の悲惨さを実感しながら命の大切さを訴え続けた人でした。
 戦争を知らない私たちは、朝起きて蛇口をひねると水が出てきたら顔を洗い、新聞を読みながら朝食を食べる、そんな日常の毎日を当たり前のことのように思っていませんか。最近の国際情勢、特に隣国のことを考えますと、平和であることの有り難さを真摯に受け止めなればいけないと思います。